恩人である故井上恵次先生は、上智大学から、今年60周年を迎える柴田書店社長(兼月刊食堂の編集長)を経て、ロイヤルホスト副社長、ベッカーズ社長として両社のチェーン化を成し遂げられた方だが、昨年お亡くなりになられる前に、柴田書店の創業者 柴田良太氏の遺稿を紹介下さった。
柴田氏は日本の外食の産業化を志し、志し半ばで飛行機事故にて40代で亡くなられた。
以下に引用させて頂く。
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年齢と仕事
正岡子規が俳句と短歌の革新をひろめて三十五歳で死んだ。
尾崎紅葉も老成した感じをうけるが三十六歳でなくなり、夏目漱石は四十九歳の時、「明暗」執筆中に死去した。
織田信長が本能寺で自害したのが四十九歳でその時は秀吉は四十七歳、家康は四十一歳であった。
源義経は三十歳で奥州平泉で死んだが、彼の活躍したのは最後の五年間という。
大石良雄が四十七士を統率して主君の仇を討ち、本懐をとげて切腹したのが四十四歳、西郷隆盛は五十歳で城山で自害した。
全世界に神を知らせた青年イエスキリストは三十三歳のとき、処刑場ゴルゴタの丘へ十字架をかついで歩んだ。青年老い易くではないが、青年も壮年も老人もボヤボヤしてはおれない。
よい仕事を残したいと思う。
柴田良太
(柴田書店様HPより引用)